五輪書の現代語訳その78

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ブログを読んでくださってありがとうございます。今回は、風の巻(6)です。

見えるものにこだわらない

 

流派によっては…

相手の刀をよく見ようという流派もあれば、手をよく見ようという流派もあります。

 

また…

顔をよく見るべきだ、足をよく見るべきだ、という流派もあります。

 

でも、そんなふうにとりわけどこかを凝視するのは良くありません。

凝視すればするほど、それに惑わされるからです。

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たとえば…

サッカーのうまい人は、ことさらボールを凝視しなくても、からだの感覚でボールをうまく扱うことができます。

曲芸がうまい人は、鼻の上に扉を立てたり、いくつもの刀でジャグリングをします。

そのとき彼らは、あつかっているモノをずっと凝視しているわけではありません。

 

凝視しなくても、からだの感覚で見えるのです。

 

武芸もこれと同じです。

前もお話した通り、ものを見るには、「観」と「見」のふたつの見方があります。

 

「観」とは大局を見ること、「見」とは細部を見ることです。

ぜひ「観」の目を強くしてください。

目に見えるものを凝視してはいけません。

本当に見るべきは、相手の心であり、場の大局です。

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