ブログを読んでくださってありがとうございます。今回は、風の巻(6)です。
見えるものにこだわらない
流派によっては…
相手の刀をよく見ようという流派もあれば、手をよく見ようという流派もあります。
また…
顔をよく見るべきだ、足をよく見るべきだ、という流派もあります。
でも、そんなふうにとりわけどこかを凝視するのは良くありません。
凝視すればするほど、それに惑わされるからです。
たとえば…
サッカーのうまい人は、ことさらボールを凝視しなくても、からだの感覚でボールをうまく扱うことができます。
曲芸がうまい人は、鼻の上に扉を立てたり、いくつもの刀でジャグリングをします。
そのとき彼らは、あつかっているモノをずっと凝視しているわけではありません。
凝視しなくても、からだの感覚で見えるのです。
武芸もこれと同じです。
前もお話した通り、ものを見るには、「観」と「見」のふたつの見方があります。
「観」とは大局を見ること、「見」とは細部を見ることです。
ぜひ「観」の目を強くしてください。
目に見えるものを凝視してはいけません。
本当に見るべきは、相手の心であり、場の大局です。